2022年7月27日水曜日

赤い鳥第4巻第6号

赤い鳥04.06 大正9年(1920)6月1日発行 5月5日印刷納本
目次

赤い鳥04.06 大正9年(1920)6月1日発行
   「赤い鳥」六月号(第四巻第六号)
象(表紙、石版)   清水良雄
馬の国(口絵、水絵) 清水良雄
恐い頭取(口絵、黒白画) 矢部季
 学校(推奨自由画) 加藤すみ子
 家(推奨自由画) 木俣修二
 月のフートボール(推奨自由画) 益子九郎
蟻(童謡) (2) 西條八十
猿の手(童話) (12) 鈴木三重吉
艦長の子(童話) (16) 菊池寛
朝顔(童話) (22) 伊東英子
初夏(はつなつ)(童謡) (28) 柳澤健
子供が猿になつた話(童話) (30) 水島爾保布
弓試合(童話) (38) 久米正雄
いたづら人形(童話) (42) 佐藤春夫
 烏のたまご(入選童謡) (42) 北原白秋選
 鳥のをばさん(推奨童謡) (50) 吉永鉄男
 耳(推奨童謡) (50) 服部倬治
 かに(推奨童謡) (51) 山口利国
大当てちがひ(童話) (52) 樋口やす子
馬の国(童話) (60) 野上豊一郎
朝鮮人参(童話) (64) 江口千代子
宇治の渡し(歴史童話) (68) 鈴木三重吉
お山の大将(童謡) (78) 西條八十
 蛙つり(模範綴方) (80) 鈴木三重吉選
 栗鼠の子(自作童謡) (81) 北原白秋選
綴方教授法の根本的研究 (89) 鈴木三重吉
「金の輪」を読んで (96) 秋田雨雀
さし絵、飾り絵 清水良雄 深澤省三
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それぞれの話の出典・同話・類話・参照
 
凡例:
[出典]:出典元と思われる話。
[同話]:同じ話ではあるが、出典元かどうかはわからない。
[類話]:プロットやモチーフが似ている話。民話の場合、各国に類似する話が多数ある。
[参照]:モチーフの一部やプロットの一部、題名が似ているなど。

「鈴木三重吉童話全集」の付言にはそれぞれの話の国名が書かれている。それを( )内に表記した。しかし実際の国名と合わないこともある。
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赤い鳥04.04p04-13童話『猿の手』鈴木三重吉
赤い鳥04.05p04-11童話『猿の手』鈴木三重吉
赤い鳥04.06p04-15童話『猿の手』鈴木三重吉
鈴木三重吉童話全集06.26『猿の手』(イギリス、ウヰリアム・ジェーコップス)

出典・類話 リンク

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赤い鳥04.06p16-21童話『艦長の子』菊池寛
艦長の子 赤い鳥の本 4 三人兄弟 菊池寛 外部リンク

注:この話は、1798年のイギリスとフランスのナイル海戦の際に、フランスの旗艦ロリアン号の艦長の子が、父親の「持ち場を離れるな」という命令を守り通した。という話を、ヘマンズ夫人が、Casabianca という詩にしたものです。この詩は戦場の美談として、人気を博し、数多くの読本に取り入れられています。
 菊池は、ロバート・サウジーの「ネルソン伝」にあるナイル海戦の部分を資料として、実録風に記述しています。そして、物語の最後は、ヘマンズのCasabianca の詩を敷衍して「このアバキールの海戦(ナイル海戦)で一番勇ましかつたのは、誰でせうか。・・・あの十才にしかならない艦長の子ではないでせうか。」と締めくくっています。

出典1:THE LIFE OF HORATIO LORD NELSON
BY ROBERT SOUTHEY
CHAPTER V 外部リンク

出典2:Casabianca  外部リンク
THE POEMS OF FELICIA HEMANS.
COMPLETE COPYRIGHT EDITION.

第八十七 カサビアンカ 外部リンク
スヰントン第四読本直訳講義. 下
平井参 (三郎) 訳 杉本書店 明22,24

注:菊池寛の訳には、誤訳があります。
艦長の子 p127

「菊池寛訳」外部リンク
(フランスの)船の数は、皆で十七でしたが、その中の四隻はフリゲイト型といふ三層甲板の大軍艦です。その中でも一番大きいのは、ロリアン号といつて、大砲を百二十門備へた軍艦です。
・・・・・
英吉利の軍艦は、フランスの軍艦よりも、三隻少く、それにどの軍艦も七十二門以上の大砲は積んでゐないのです。
 

菊池はフランスの艦船について、「その中の四隻はフリゲイト型といふ三層甲板の大軍艦です。」と書いていますが、フリゲイト型は、大軍艦ではありません。当然、ロリアン号は、フリゲイト型ではなく、戦列艦の旗艦です。これは次の英文を読み違えたのだと思います。

THE LIFE OF HORATIO LORD NELSON
CHAPTER V 外部リンク
They had thirteen ships of the line and four frigates,
carrying 1196 guns and 11,230 men. The English had the same number of ships of the line and one fifty-gun ship, carrying 1012 guns and 8068 men. The English ships were all seventy-fours; the French had three eighty-gun ships, and one three-decker of one hundred and twenty. 

(フランス艦隊)は、13隻の戦列艦と4隻のフリゲート艦があり、砲門は全部で1196門、乗組員は11230人であった。イギリス艦隊は、フランスと同じ数(13隻)の戦列艦と、50の砲門を持つ艦が一隻、砲門は全部で1012門、乗組員は8068人であった。
 しかも、イギリスの(戦列)艦は全てが74門艦であったが、フラン(戦列艦)は、3隻は80門艦であり、1隻は3層甲板艦で、120の砲門があった。

 菊池は、下線部の前半の「13隻の戦列艦と4隻のフリゲート艦」ということから、後半の下線部の、「フランスは、3隻は80門艦であり、1隻は3層甲板艦で、120の砲門があった。」というのを、フリゲート艦の4隻と勘違いしたものと思われます。実際は、イギリスの戦列艦は13隻全部74門艦であったが、フランスは9隻は74門艦で3隻は80門艦で1隻は3層甲板の120門ある大軍艦であったということになります。

 また、菊池は、「英吉利の軍艦は、・・・七十二門以上の大砲は積んでゐない」と書いていますが、七十四門の誤りです。しかし、なぜ74を72と間違えたのか? 腑に落ちない点ではあります。

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赤い鳥04.06p30-37童話『子供が猿になつた話』水島爾保布 外部リンク

同話:チベットの昔話34『白銅の壷』
アルバート・L. シェルトン 西村正身訳 青土社

類話:Type1592=J1531.2 鉄を食べる鼠
パンチャタントラ1.21『不思議と不思議』 外部リンク
カリーラとディムナ1.13『商人と不実な預かり人』
ラ・フォンテーヌ寓話09.01『不実な預かり手』 外部リンク
トルストイ少年少女読本12『二人の商人』外部リンク
日本昔話通観670『吐き出せ蛙』

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赤い鳥04.06p38-41童話『弓試合』久米正雄 外部リンク
新しい童話3 リツキ・チツキ・テビー『弓試合』外部リンク
久米正雄・小島政二郎 共著  春陽堂
 
注:「新しい童話3」の「標題」には、『弓試合は今昔物語・古今著聞集から選択した。』とありますが、下記の「大鏡」が出典です。どうもミスリードをしているように思えます。 外部リンク
 また、「新しい童話3」は、久米と小島の共著となっていますが、久米は名前を貸しただけで、「弓試合」は小島の代作の可能性があります。

出典:大鏡 太政大臣道長
注:この話は、「大鏡  太政大臣道長」の次の4つのモチーフからなっています。
motif1:詩歌の上手  外部リンク
motif2:肝試し 外部リンク
motif3:人相見 外部リンク
motif4:弓試合 外部リンク
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赤い鳥04.06p52-59童話『大当てちがひ』樋口やす子 外部リンク
鈴木三重吉童話全集3.34『おぢいさんと三人のわるもの』(不明) 外部リンク

注:この話は3つのモチーフから構成されています。

motif1 老人は3人の悪者に、馬を驢馬を言われ馬を手放す。
パンチャタントラ3.3『婆羅門僧と山羊』外部リンク
世界童話大系. 第10巻(印度篇) 世界童話大系刊行会 大正14
ヒトーパデーシャ4.5『梵僧と山羊』外部リンク
大聖サルマ物語 : 印度寓話  酒井鋒滴 訳註 大正1
カリーラとディムナ4.2『騙された修道者』
オイレンシュピーゲル68
サキャ格言集150
冗談とまじめ632『男が羊を投げ捨てたこと』

motif2 老人は二匹の山羊を用意して山羊がお使いしたと思わせる。
Type 1539 賢い者と騙されやすい者。K131.1 兎の郵便配達。
スペイン民話集『二人のコンパードレ』 エスピノーサ 三原幸久編訳 岩波文庫

motif3 袋の中の老人は、お姫様と結婚できると言って、羊飼いと場所を交換する。
Type1737 袋の中の聖職者は天国へ行く。
K842 トリックスターは、天国に行きたくない(または、お姫様と結婚したくない)と叫び続ける。騙されやすい人は、喜んで彼と入れ替わる。
フランス民話集『粉ひきと領主』 新倉朗子 岩波文庫
グリム61『水のみ百姓』
昔話インデックス0438『俵薬師』
昔話インデックス0441『馬の皮占い』

類話:The Cunning Shoemaker 外部リンク 
(Sicilianische Mahrchen.) 
 THE PINK FAIRY BOOK by Andrew Lang
motif1 お金を出す驢馬
motif2 人を生き返らせる楽器
motif3 お使いをする犬
motif4 袋の中の場所の交換

注:「大当ちがひ」のmotif1 は、「騙される者」の話で、「騙す者」の話で使われるのは不自然です。もしかすると、元のモチーフと差し替えられたのかもしれません。元のモチーフとしては、The Cunning Shoemaker のmotif1 の「お金を出す驢馬」のような話が考えられます。

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赤い鳥04.06p96-98『「金の輪」を読んで感じたこと』秋田雨雀 外部リンク
 私は近頃小川未明君の童話集「金の輪」を読んだのでそれについて短い感想を記して見度いと思ふ。小川君には、前にも二三の童話集があつたやうに記憶するが近来、一般の社会が、童話に対して注意を向けるやうになつてゐる時代だけに、私は特に興味をもつて読んだ。小川未明君は、現今の日本の文壇でユニツクな地位を持つてゐる人で、そして新らしい童話の創作者としては唯一人の先達者であると言つてもよい。勿論私達の時代の前にも童話作者として巌谷小波氏のやうな人もあるが、巌谷小波氏の童話に対する考へ方と、私達の時代の童話に対する考へ方には、可成広い溝が横たはつてゐるやうに思はれる。勿論先駆者としての歴史的な功績は認めなければならないが。
 童話に対する考へ方の相違といふ事は単に童話の描写の仕方や、技巧によるのではなく、もつと根本的な思想の上から来るものであるといふ事は、私達の始終主張してゐるところである。童話作者としての小川未明君は、確かに第一人者であるといふ事だけは、事実であると思ふ。小川君の文壇に於ける特色は、童話に於いても、矢張り非常に著しいものとして表れてゐるやうである。たとへば、小川君の自然に対する見方、人生に対する考へ方といつたやうなものに、非常に神秘的なものがあつて、それが、どんな小さい作物の中でもよく現れてゐる。或は余り多く現れ過ぎてゐはしないかと危まれる位である。然し私は、童話の一番の面白い要素を、単に、神秘的であるといふやうな事に帰するやうな見方には反対したいものである。その理由は、後で説明する機会があるかも知れないが、私は、童話といふものゝ本当の生命は、「無邪気であるといふこと」「自由であるといふこと」それから「合理的であるといふこと」が、一番必要であるといふ主張を持つてゐるものである。童話に就いて、合理的であるなどと云へば、人は変に思ふかも知れないが、私は人間のイマジネーシヨンといふものはどんなに複雑に働いてもよく見るとそれは極めて合理的なものであるといふ信念を持つてゐる。従つて私は、少年の読物としての神秘的な要素はそれがこの合理的であるといふ要素を欠くものであつてはいけないといふ考を持つてゐる。いけないと言はないまでも、なるたけ避けたいと思つてゐる。ヨーロツパの童話を読んで見て、可成な不合理や不思議が行はれてゐるやうに思ふ人があるかも知れない。併しヨーロツパの童話の中にははつきりした約束された二つの存在があつてそれに絶対の力が課されてゐる。それは即ち、
 一、神の概念
 一、魔神(魔女等)の観念
である。この二つの観念があるために、ヨーロツパの童話はどんな不合理さうなどんな不思議さうな出来事が生れて来ても、約束された事件以外は、非常に合理的で心理的である。これは余程注意して見なければならない、一つの特色であると思ふ。
 小川未明君の童話の一部の物には、大人のセンチメント以外には感ぜられないやうな、又大人の世界から見てのみ面白さうな、神秘的な材料を主材として、それに何等の塩梅も加へずに子供に与へてゐるものが二三あるやうに思はれる。たとへば、「牛女の話」、「薬売り」、「犬と人と花」、「お爺さんの家」のやうなものが即ちそれである。この中でも「薬売り」のやうな物語は、大人の読物として面白い物であるが子供の読物として与へるにはあまり適当してゐない物でないかと思ふ「牛女」及び「犬と人と花」「お爺さんの家」なぞはそれを読んだ少年に一種の困惑の感覚を与へないだらうか。これは童話の作者として余程注意しなければならないものではないかと思ふ。童話の作者が童話の材料及び技巧に対して充分に吟味をして与へると云ふ事は、他の芸術よりも余程必要であると私は始終考へてゐる。西宮藤朝君であつたか、子供に大人が人生の善悪を選択取捨して与へる必要がないといふ事を言はれたやうに記憶するが、私はその点では、今日の童話が大人が次の時代の同じ人類に与へる性質のものならば、適当に取捨選択をして与へるこそ人類の自然な本能でもあり欲望でもあると思ふ。その点で、児童に与へる芸術の作者ほど責任の重いものはないと思ふ。さうかといつて、私は、児童に対して、何事も「知らしむる勿れ。」といふやうな道徳的な観察点から出発するものではない事は無論である。
 かうは言ふものゝ、「百姓と蛇」「子供の時分の話」なぞを読んでも「金の輪」を読んで見ても、その作者の持つてゐる気質が、非常によく現れれゐる。「百姓と蛇」は、恐らくある地方の伝説を土台にしたものであらうと思はれるが、かういふ伝説は日本の各地にいろ/\な形でたくさん散在してゐるやうであるが、小川君が創作の童話でかういふ伝説にてをつけられてゐるといふ事は可成面白い事だと思ふ。「牛女」なぞも或は作者の地方の伝説から来たのかも知れない、さう見るといくらか見直される点もないではない。「金の輪」は、軽い明るい神秘さを持つた作物で、読んで見てこの童話集の中で、一番快感を与へられるものである。ある少年が、町へ出て遊んでゐると、今まで見た事もないやうな一人の子供が、二つの金の輪を廻し乍ら行くのを見た。そして間もなくその少年は熱病を患つて死ぬと云ふ短い話であるが、この作者のセンチメントと気品とが一番はつきり現れてゐる。
 次ぎに普通のヨーロッパ風の童話の形を持つたものとしては「蝋燭の貝殻」「黒い塔」「北海の白鳥」なぞもあれば又寓意を含んだ童話には「誰が一番悪いか」「酒倉」「金持と鶏」なぞがある。「誰が一番悪いか」は三人の兄弟の三つの性格を描いたもので、それには今日の社会に於ける三種類の人生観を描出して来て、それに対して作者の批判を与へてゐるとも見られるやうなものである。一人の子供は、物を貰ふと、人にもやらず、人の物も取らずに黙つてゐる、そして、他の二人の兄弟が何にも持つてゐない頃になると、自分の物を見せびらかす。一人は、自分の持つてゐる物をいつでも人に取られてばかりゐる。もう一人は、自分の物を食べてしまつてから他人の物をも取つて食べるといふやうな性質を持つた子供である。作者は人の物も取らず、人にもやらないで、人の持つてゐない時に、自分の物を見せびらかす子供を最も悪い子供であつて、寧ろ必要に応じては、他の物をも奪ひ取らうとする性質を、寧ろ無邪気で善良なものであると見てゐる。私はその点では、作者に全く同意を表するものである。「酒倉」はある大将が敵国に攻入つた時に、敵国の少年の心を自分等の心持と等しく邪念のあるものと思ひ誤つて、子供の教へたのに従はないで、反対に毒を入れた酒倉の酒を飲んで死んで了ふといふ事を書いたものである。之は童話のテーマとして中々面白いものであると思ふ。「金持と鶏」は、ある金持が珍らしい鶏を手に入れようと思つて、最初に非常によく卵を生む三羽の鶏を買つて来た。鶏は毎日/\よく卵を生んだ。金持はそれを友達に見せたところが、友達はそんな鳥はちつとも珍らしくないと言つたので、今度は闘鶏に得意な非常に強い鶏を手に入れて自慢にしてゐた。ところがその鶏は非常に乱暴な鶏で他人の畑を荒したり子供の足をつゝいたりするので、ある日銃猟家のために撃たれて死んで了ふといふ事を書いたものである。この童話は作意がはつきりしてゐるけれども、作者の他の作物に比較して非常に芸術味の少ないものだと思ふ。矢張り寓意を持つた作物の中には、「馬を殺した烏」といふのがある。一羽の烏が鴎に欺かれて鳩にならうとしたが、失敗した腹癒に、牛と馬とを欺かうといふ事を企んだが、牛は中々烏の言ふ事を聞かないけれども、馬はとう/\烏の云ふ事を聞いて、背中に荷を積んだ儘、広い海を飛び越えようとして死んで了ふと云ふ事を描いたものであるこの物語は描写としては余り成巧してゐないと思ふけれども、烏が他の鳥に欺かれた復讐を、他の動物、馬や牛にしようと思つた事は、寓話として大変成功したものだと思ふ。
 この他、童話ともつかず、寓話ともつかないやうな「汽車の中の人々」「月夜と少年」のやうな短い文章もある。「汽車の中の人々」は、正雄といふ少年が岡の上に登つて遠い土地を見渡してゐる中に、伯母さんの家へ行きたくなつて、汽車に乗つて出発したところが、途中で汽車を乗り過して、知らない伯父さんの家に一夜を明すといふ事を書いたものである。「月夜と少年」は、二人の少年が同じ商家に雇はれて、ある月のいゝ晩にめい/\に自分の故郷や、自分の姉さんや、お母さんの事を思ひ出すと云ふ事を書いたものである。前者は短かい紀行文のやうな感じのされるものであるが、それでもこの作者の持つてゐる、テンダーな感情と、神秘的な幻想とがよく現れて、一篇の詩を読むやうな感じがする。「月夜と少年」も矢張り美しい詩の持つてゐるやうな芸術的な筆触を感ずる事ができる。 これを要するに、「金の輪」の中には、二つの新しい童話のいゝ芽が萌え出でかけてゐるやうに思はれる。一つは小川君の持つてゐる芸術的特色の一つである、神秘主義が、この国土特有の伝説を借りて形を表さうとしてゐることで、もう一つは、小川君の人生観社会観といつたものを童話の形を借りて現さうとしてゐることがそれである。この二つの要素がどういふ風に発達して行くかといふ事は、私に取つては可成り興味のある問題であると思ふ。唯最後にこの作者に注意をしたい事は、描写をなるたけ単純にして、幼年者に対して困惑の感情を起させないやうにして貰ひたいといふことである。これは私の読んでゐながら感じた事の一つであるから、特にこゝに記して置きたいと思ふ。(四月六日夜記)

「金の輪」の発行所、定価等の詳細は巻頭の広告につき御覧下さい。(記者)

金の輪 小川未明  外部リンク

類話:
グリム童話(子供のための聖者物語)203『バラ』
 昔あるところに、貧しい女の人がいました。この女の人には、二人の子供がいました。弟の方は、毎日森へ薪を取りに行かなければなりませんでした。ある日のこと、男の子が長いこと薪を探していると、小さな子供が現れました。その子はとても力があり、薪を拾い家に運ぶのを、一生懸命手伝ってくれました。しかし、その不思議な子供は、あっという間に、姿を消してしまいました。
 男の子は母親にこのことを話しました。しかし、母親ははじめはそれを信じませんでした。そこで、男の子は一本のバラを持って来て、これは、その美しい子がくれたバラで、このバラが大きく開いた時に、再びやって来ると言っていた。と母親に話しました。そこで母親はそのバラを水にいけました。
 ある日のこと、男の子がベッドから起きて来ませんでした。母親がベッドへと行ってみると、男の子は死んでいました。しかし、男の子はとても幸福そうに見えました。そしてその日の朝、あのバラは大きく開いたのでした。

注:キリスト教の聖者物語では、「死」とは、天国に召される素晴らしい救済という思想があります。また、神の深淵なる考えによる死という考え方もあります。

Type 759 立証された神様の正義

Cheriton『天使によって示された神の裁き』
ある隠者が、神の摂理を教えてもらいたいと神様にお祈りしていた。すると、天使が老人の姿で現れてこう言った。
「さあ神父たちの所へ行って、彼らのもてなしを受けることにしよう」
彼らは、洞窟にある修道士の独居房にやって来た。扉をノックすると、神に仕える年老いた男が現れ、快く彼らを招き入れた。そして、祝福を与えると、彼らの足を洗ってやり、元気がでるようにと食べ物を用意した。彼らは、一晩そこに厄介になった。朝、老人は礼を尽くして彼を送り出した。しかし天使は、自分たちが食べて空にした器を秘かに持ち去った。隠者はこれに気付いて一人呟いた。
「こんなに心から歓待してくれた、この神に仕える老人に対して、なぜ、こんな仕打ちをするのだろう? 一体なぜ、彼は器を盗ったのだろう?」
二人が立ち去ってしまうと、老人は、息子に二人の跡を追わせた。
「どうか器を返して下さい」
すると天使はこう答えた。
「あれは人にやってしまったのだが、彼は先に行ってしまった。一緒に行って取り戻そう」
息子は、天使と隠者の跡に従った。すると、天使は彼を崖から突き落として彼を殺してしまった。隠者はこれを見て、大変驚いて叫んだ。
「翼ある者よ。ああ、彼は何てことをしたのだ。器を盗んだだけでは足らずに、彼の息子まで殺すとは!」
それから二日後、彼らは、二人の弟子と暮らしている、修道院長の小宅を訪れた。彼らが扉を叩くと、修道院長は、「何処の誰で、何しに来たのか?」と聞かせるために、弟子の一人をつかわした。そこで彼らはこう答えた。「私たちは、祝福を賜ろうと、遙々やって来たのです」しかし、修道院長は断った。そこで彼らはこう言った。
「休みたいので、今晩泊めて下さい」
「出ていってくれ」
修道院長はそう答えた。しかし、彼らは懇願し続けた。そしてついに、不承不承ではあったが、修道院長は彼らを受け入れた。彼らは、少し明かりをくれないかとお願いしたが、修道院長は何も与えてくれなかった。彼らは、弟子の一人に水をもらいたいとお願いした。すると彼は、秘かに、わずかばかりの食べ物を添えて彼らに与え、このことは修道院長に知られないようにとお願いした。朝、天使は弟子の一人にこう言った。
「院長に贈り物を持ってきているので、我々を祝福をしてくれるように彼に頼んで下さい」
これを聞いた修道院長はすぐにやって来た。そして天使は彼に例の器を与えた。すると、隠者は怒って天使にこう言った。
「私から離れて下さい。これ以上あなたと一緒に行動したくない。あなたは、信心深い男から器を盗み、彼の息子を殺害した。そして今度は、神をもおそれず、仲間に慈悲を与えないような、不道徳この上ない男に、その器を与えた」
すると、天使が隠者にこう言った。
「あなたは、神の裁きを知りたいと願いませんでしたか? 私はそれをあなたに示すために下界に使わされたのです。あの老人から奪った器は、独居房に住む聖なる者には相応しくない悪い品物だったのです。私が彼の息子を殺したのは、あの息子が翌晩、父親を殺そうとしていたからなのです。この器なのですが、これは悪い品(高価な品)だったのです。これをこの不道徳な男に与えたのは、彼の没落を早めるためだったのです」
天使はこのように語ると、姿を消した。そして、隠者は、悟ったのであった。時に、神の裁きには理不尽と思えることがあるが、しかし本当は正しいということを。

グリム童話(子供のための聖者物語)208『おばあさん』 外部リンク

不思議な少年 マーク・トウェイン 外部リンク

雨雀は、この評論で、

ヨーロツパの童話を読んで見て、可成な不合理や不思議が行はれてゐるやうに思ふ人があるかも知れない。併しヨーロツパの童話の中にははつきりした約束された二つの存在があつてそれに絶対の力が課されてゐる。それは即ち、
 一、神の概念
 一、魔神(魔女等)の観念
である。この二つの観念があるために、ヨーロツパの童話はどんな不合理さうなどんな不思議さうな出来事が生れて来ても、約束された事件以外は、非常に合理的で心理的である。これは余程注意して見なければならない、一つの特色であると思ふ。


と書いています。そして、金の輪について、
 
「金の輪」は、軽い明るい神秘さを持つた作物で、読んで見てこの童話集の中で、一番快感を与へられるものである。・・・・この作者のセンチメントと気品とが一番はつきり現れてゐる。
 
と書いています。未明が「金の輪」を、どのうような意図で書いたかは、わかりませんが、類型的には「聖者物語」と同じです。
 雨雀は、金の輪について、「軽い明るい神秘さ」「センチメントと気品」と高い見識を示していますが、「神の概念」は見出していないようです。